『関心領域 THE ZONE OF INTEREST』
この映画は映画館で公開されているときに「ポスターのグラフィックが秀逸!」とXで話題だったので知っていました。
ゆったりとした芝生の上に人々がいる。遠目にみても、いい暮らしをしているのが伝わってくる。しかし、その奥は真っ黒。このポスターの画面の中で最も面積が大きい。そして、一番下に"アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮す家族がいた"というコピーが入っています。「あぁ、そういうことか」と理解。このグラフィックとコピーだけでかなりのことが伝わる、確かに素晴らしいポスターだと思いました。しかし上映中は観ることができませんでした。
先日ふとAmazon Primeをつけると、この映画が新しく登録されていました。アウシュビッツ収容所の話なので軽々しく観られないなと思いつつも、自分が好きなA24の制作であること、予告編を観る限りアウシュヴィッツの事を少し変わった角度から描いてるとのことで観てみました。
描かれる幸せな家族の後ろでは、常に異常
まずは冒頭。真っ暗な画面に不穏なBGMが流れているところから始まります。……長い。真っ黒なシーンが長い。その時たまたまリビングに入ってきた妻が「なんで真っ暗な画面観てるの?」と聞いてくるほどに長い(笑)。時間としては3分とか?実は自分は不安になり「バグったかな?」と思って早送りしました。でもバグっていたのではなく、真っ黒な画面をかなり長く流すことによって見る人に不安にさせる演出だったのです。この映画の方向性を示すような演出でした。
画面は切り替わり、森の中で10名ほどの老若男女がワイワイやっている様子が映ります。子どももいたりして家族だとわかります。それを皮切りにその家族たちの日常が、たわいもない会話とともに描かれます。大豪邸ではないけど、お手伝いさんも数名いて、なかなか広い家。青い芝生がキラキラ光るかなり広い庭(ポスターに写る庭ですね)。どこからどう見てもナチスの、軍服姿の男(ルドルフ)が父親でしょう。家族と話しているのでカーキグレーのスタイリッシュな軍服に身を包んでいても、どこかリラックスした表情です。
この映画は基本的にはドラマティックなことは起こりません。この家族の日常を描いているのですが、その端々に隣がアウシュビッツ収容所であるがゆえの異常が写っているのです。その異常の一つ一つは些細なことなのですが、歴史をすでに学んでいる我々からすると超絶恐ろしい。でも映画の中のナチスの家族にとっては日常。実情を知るルドルフにとってはまだしも、その家族にとってはただただ日常なのです。そのギャップが本当に恐ろしい。
まるで大企業に勤める部長の日常
ルドルフの妻、ヘートヴィヒが自分の部屋で姿鏡を前に毛皮を着てポーズを取る。なかなかいいわね、という顔。手を入れていたポケットの中に何かあるようでそれを取り出す。口紅だったらしく、一度塗ってみるもののすぐにそれを荒々しく拭き取る。この毛皮のコートは収容所に入った人のものだったのでしょう。
ルドルフの自宅に男たちが訪ねてきます。どうやらお仕事の話の様子。光がたっぷりと降り注ぐ応接間で「新型ではもっと効率的にできる」などと話しています。新型の焼却炉ならもっと効率的にアレを焼却できる、と話しているのです。
ヘートヴィヒが訪ねてきた母親に自分の庭を自慢する。かなり大変だったたけど何とか形になった。サンルームもあるのだ、と。母親のほうも、遊びに行ったこともある向かいのユダヤ人が連行されてその人の家の物が売りに出されていたが狙っていたカーテンは買えなかった、と話す。二人で美しい庭を歩きながら「久しぶりねぇ」と話しているが、その向こうには高い塀があり、さらにその向こうは収容所。高い煙突からモウモウと黒い煙が上がっています。
二段ベッドで就寝前の兄弟。兄がゴソゴソしているから下の段の弟は気になる。「お兄ちゃん何してるの?」と聞く。「ん?あぁ、歯を見てるんだよ」と兄。弟は上段に上がって兄の手元を覗き込む。「ふーん」といってベッドに戻って眠りにつく。兄は金歯か何かを集めているのか、それをベッドで眺めていたのです。ビー玉でも眺めるように。
ルドルフは休日なのでしょう。子ども二人を連れてカヌーで近所の川を下っています。子どもたちを浅瀬で遊ばせ、自分は腰まで川につかり釣りを楽しんでいます。すると、川上から徐々に川が白くなってきます。白い何かが流れてきている?釣りをしているルドルフも異変に気づきます。川の中を探ると、それは白い骨でした。(おそらく)それは骨や灰を川に流しているのでしょう。ルドルフは顔色を変えて子どもたちにいいます。「早く出なさい!帰るぞ」と。
そういうシーンの連続なのです。描かれている日常は、まるで大企業に務め勤める、部下を何百人、何千人と持つ部長の日常という感じです。でも、決して社長ではない。
この物語ではストーリーはほとんどありませんが、あるとしたら"ルドルフが昇進して転勤になるかも?"というささやかなもの。ルドルフは妻ヘートヴィヒが収容所の隣での暮らしを気に入っているのを知っているのでなかなか言い出せずにいましたが、意を決して話します。「転勤になるからここの家を出ないと行けない」と。妻の反応は予想通りで、大激怒。「はぁ?あたしはここでの暮らしが気に入っているわ。ヒトラーに交渉したの?あなた、単身赴任しなさいよ」と。一番ヤバい感覚なのは、ヘートヴィヒなのかも。
ここからネタバレ(?)なのでご注意を
僕はここまででも新しい角度でのアウシュビッツ収容所の描き方に、見入っていました。ですが後半、ルドルフが再び転勤でアウシュヴィッツに戻る、となって妻に「いやぁ、戻れることになったよ」と嬉しそうに電話した後のシーンでした。
おそらく電話した日の夜、仕事も終わり帰宅するのでしょう。勤め先の建物の中を歩き、階段を降りるルドルフ。と、突然立ち止まります。引きの絵なのですがルドルフが「おえっ」とえづくのです。再び歩き出すものの、また立ち止まって「おえっ」とやります。彼は劇中では淡々と仕事をこなす様子が描かれていますが、たまにお物思いにふけったり、何かを考えている様子が垣間見えます。もしかして、平気な顔をしていても体の奥底でホロコーストへの拒絶反応が出ているのでしょうか?
そして、その後です!!
突如シーンが切り替わります。現代的なユニフォームをきた女性たちが建物の扉を開けています。「ん?え?第二次世界大戦の話じゃなかった?」と頭が混乱します。その建物はかなりボロボロで古いものだとわかりますが、行列を整理するための柵などが置いてあったり、小さな説明書きの看板が見えます。古い建物をそのまま使った博物館のような。建物の中ではがらんとしたコンクリートの内部や焼却炉を掃除したり、展示スペースのガラスを拭いたりするユニフォーム姿のスタッフがいます。…理解できました。おそらくここは現在は博物館として保存されているアウシュビッツ収容所なのです。展示スペースではガラスの向こうに大量のカバンや靴が山積みになっています。その靴の量といったらすごいのです。時間が経っているのもあってほとんど黒に近いくらい色に変色した主人を失った靴たち。これらは作り物ではなく、本当に収容所にいた人々が履いていた靴。カメラは静かに淡々と、その博物館の掃除をするスタッフの姿を映します。
自分が知る限りフィクションの中に、突如ノンフィクションの映像が入る映画を観たことはありません(ニュース映像などの素材としては、ある)。変ですからね。でもこの映画ではものすごい衝撃がありました。映画としてこういう物語を観ていると、どうしても心のどこかで"作っているもの"という感覚があるような気がします。制作者がある程度コントロールしているからです。だから我々のような普通の人も観られるわけです。もし「アウシュビッツ収容所のドキュメンタリー、観る?」と言われたら自分はたじろぐと思います。とても受け止められると思えない…。それが制作陣がいて、そのショックをコントロールをしている人がいるならば観られるかもしれない。だからこそ、この『関心領域 THE ZONE OF INTEREST』を観始めたわけです。でもその中に突如ノンフィクションの映像が入ることで「これは現実に起こったことなんだ」と強烈なパンチを食らったのです。
数分、静かに博物館を掃除するスタッフが映された後、カメラはルドルフに戻ります。ルドルフは幻でもみたかのように「ん?」と間抜けな顔をして辺りを見渡します。「ん?じゃねーよ、外道!」そう感じざるをえません。そう、先程の映像が挟まったおかげでルドルフのことを悪魔のように感じるのです。彼はこれからアウシュヴィッツに戻って効率的に虐殺していくのです…。ルドルフは何もないのを確認すると、再び階段を降り始めます。階下は誰もいないのか照明も消されていて、真っ暗です。ルドルフは少しだけふらついた足取りで真っ暗な階段を降りていきます。まるで光が一切届かない地獄に降りていくかのように。
戦争とかホロコーストをテーマにした映画を避けてきた人こそ観てほしい
長々と感想を書きましたが、基本的にはその異常さを際立たせるためにルドルフたちの日常は光溢れる明るい感じで描かれています。くら〜い気分にはなりづらいと思います。戦争とかホロコーストをテーマにした映画を避けてきた人こそ観てほしいです。自分はまさにそのタイプで、戦争の残酷さや非道さを真正面から描いたような映画はどうしても観ることができないので、そういう人たちにどう伝えるか?と工夫されたこういう映画の存在はありがたいです。
テーマがテーマだけにちょっと真面目になりすぎましたが、ぜひAmazon Primeで!
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